MY AFTERNOON TEA TOKYO

紅茶好きさんに贈る紅茶研究家きょうやんのサイト。

新年明けましておめでとうございます。2023

みなさま、ご無沙汰しております。

本年も宜しくお願い申し上げます。

昨年はどんな年でしたか。

本年も良い年にしたいですね!

 

今年は、私は新しい事に挑戦する事になるので

ドキドキと期待が半々です。

皆さんは、今年は何か抱負はありますか?

他には、過去にイギリスに住んでたときの紅茶の話など書きたいと思ってます。

また紅茶をたくさん飲んで

皆さんと分かち合いたいと思ってます。

さて、

昨年末に、恵比寿にあるアトリエプランエビスでアフタヌーンティー

頂きました。

夜のアフタヌーンティーで、セイボリーも美味しかったですよ。

一休から予約して500円オフで5,900円。(1人)

写真は2人分のアフタヌーンティーです。

隠れ家的で素敵な一件家のレストラン!こんなところにあるの?と驚き。

一度に三組の予約のみで、なかなか予約が取れなかったお店で感動です。

ノンアルコールカクテルで華やかな年末に

なりました。f:id:ringo1155:20230107182138j:image

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お店の詳細 

アトリエプラン恵比寿

東京都渋谷区恵比寿4-19-7

03-5795-2588

営業時間は曜日によって違うのでお問い合わせしてみてくださいね。

では

 

今年も紅茶のレポートをしますので

どうぞ宜しくお願い申し上げます!

きょうやんインスタ

@yoshiyoshi1155  見てください!

 

 

わたしについて④お茶好きになった理由

皆様こんにちは。きょうやんです。

Instagram @yoshiyoshi1155 です。

荒川区のお茶の店の娘だった母が同じく

荒川区出身の父と地元結婚して長女として

私が生まれ、港区で育ちました。

 

そして子供のころから毎週日曜日になると、

両親それぞれの実家がある、荒川区に連れていかれました。

今でも走っている都電チンチン電車に乗りました。

父の実家、母の実家(お茶の店)数駅離れているので

大事な移動手段でした。

この路面電車に乗ったことは、今も子供の時の大事な思い出です。とても下町の雰囲気を感じられます。

 

母の実家の商店街にある、店では、祖母、母の実兄、そのお嫁さんが

いつも店番をしていて出迎えてくれます。店の端っこで

叔父が大きなお茶の木箱で

(子供が入るくらいの箱)多数の産地の日本茶を手でブレンドした日本茶を袋にひとつひとつ

封入して、

機械でガッチャン、ガッチャンと、袋の口を挟んで密封をしてるのみて

家族で協力して、

頑張って仕事してるんだなあと子供心にかんじました。

近所の常連さんが来ては、無料でお茶をいれて飲ませてあげて皆んな

おしゃべりして帰っていく(何も買わない(笑))

ワタシは、大人はあんな苦いものなんで、喜んで飲むんだ?と思ってました。

でも、これが今で言う

"コミュニケーション”だったんですよね。

お茶の香り、リラックス、おしゃべり、

商売されてる人ばかりなので

さあ、今日ももうひと頑張り、と思っていたんでしょう。

私は、祖母たちから

お札のおこづかいをもらって

商店街でなんでも好きなものを買っておいで、言われるのが

楽しみでした。

商店街のお店は、おもちゃ屋さん、焼き鳥、パンやさん、

祖母の顔見知りばかりなので、

「あんたお茶さんちの、お孫さんかい?そっくりだねえ。」

といわれ、おまけをくれたり子供の私には

パラダイスでした。本当に下町の方々は気前がよくて、子供の私を喜ばせようと、アレもコレもと

色んなものを下さるのでした。いつも縁日の気分でした。

両手いっぱいにおかしや、食べ物をもって帰り

お茶の店の奥に一段だけの

階段を上がり、

のれんを潜ると

小さな部屋に流しと、

冬はストーブがあり皆んなで、

お膳をかこみます。

タップリとお茶を出されますが

子供心に

オレンジジュースがのみたい、

と思ってました(笑)

(本当に、この家族は一日何リットルのお湯を象印ポットで沸かしてたんだろう?この当時の象印のポットの柄は、令和の今、

リバイバル中のレトロな花柄でしたよ。

当時は最新!

なんて名前でしたっけ?誰か知ってたら教えて下さいね。

ここで、買ってもらったおもちゃを広げたり

この店の裏の小さな居間は、昭和時代の良き思いでです。お茶、焼き鳥、団子、菓子パン、

お煎餅、駄菓子等おかわりたっぷり。

これが、私の日本式の初の

アフタヌーンティー、ハイティーです。(スコットランドの夕食を兼ねたティータイム)

この時のお茶の美味しさを知ったことが、今の私の源、原点だったりします。

なぜ、大人はなんで、

お茶がすきなんだ?と思っていた

子供時代のお話でした。

 

 

わたしについて③ 昭和34年、祖父が下町荒川区で店舗を持つ

戦後、私の母方の祖父と祖母が子供4人をつれて、お茶の引き売りなどを経て、

都内を転々とした後

東京の東の下町の荒川区に昭和34年ころ

やっとお茶の店舗を小さいながら持つことが

できたそうです。

その時私の母は、13才で中一でした。

(母はこの一家の末っ子)

店は商店街の中にあったので

なんとか生活できるくらいに

売れていったそうで、売上も

順調になり、昭和42年に私の母も、

無事成人を迎えました。

商店街のなかで、少しづつ良い場所に引っ越しを繰り返し

商店街の中でも、中央の広い店舗を持つまでになったそうです。

このころ、すこし生活も安定し、

ありがたいことに

お茶、海苔で商売する道ができました。 

ですが、残念なことに身体が丈夫でなかった

祖父は58才で

母が17才の時に、亡くなりました。

それでも、祖母は店を

この後も何十年も

続けます。

 

そして

末っ子の、私の母は、

同じく荒川区に住んでいた店のお客さんだった(後に私の父となる)

男性と結婚し

私が長女として生まれるのでした。

 

 

つづく

 

わたしについて② 昭和31年祖父がお茶販売開始

前回の続きです。

 

2015年に100才で亡くなった祖母は、

大正5年生まれ!(西暦1915)。

今から私の母に聞いた話を書きますね。

 

祖母とその家族は

戦後、お金もなく

偶然にも渋谷の駅前で

現在のヒカリエ!のある場所の

ちいさな民家に6人家族

(祖父、祖母、息子1人、

娘3人、うち一人が私の母)

に住んだそうです。

築地で仕入れた佃煮を

家の一階で売って

なんとか生活し、

二階にあるたった一部屋に全員が

川の字で寝たそうです。(うん?6人だから川の字が二つできたんだね。)

 

私の母は末っ子で、このころ昭和28年で5歳で、記憶では、ハチ公像はすでにあり

祖母の手にひかれて

渋谷の街をお使いに行った記憶があるそうです。その当時から近くに今もある

大きな画材屋さん、

東横デパート(現在は渋谷スクランブルスクエアかある場所)があったそうです。

通った小学校が、宮益坂を上がった所にあったそうです。今はないそうですが。

 

祖父は病弱であまり働けず、

貧しかったそうです。

その後、都内を転々とし、おもちゃ、パンを売ってなんとか家族6人

生活し

昭和31年ころ、母が9歳の時、これから先ずっと住むことになる

荒川区で祖父が日本茶の茶葉を自転車で

引き売りを

始めたのが、お茶の店の始まりでした。

住む部屋をもつのがやっとで、店舗を持てなかった頃の話です。

お茶の店舗を持てるのはまだ先でした。

 

 

続く

 

わたしについて①

こんにちは、きょうやんです。

今日は、わたしのお茶好きの源をお話しようと思います。

わたしは

東京都港区白金で生まれ育ちましたが、

両親が生まれた荒川近くで

当時、

母方の祖母と叔父が日本茶と海苔の店を

営んでいました。私たち家族とは

同居してませんでしたが、

つねに家に

お茶と海苔が送られてきました。

ですので

わたしにとって、

お茶は水と空気のようなもの

として育ちました。

マンガの

ちびまる子ちゃんも、

お茶の産地静岡県でお茶飲んで

育ってましたよね?

あんな感じです.まる子ちゃんは
[あたしゃ、静岡うまれなんだから、

お茶にはうるさいよ]
と言ってましたよね。あんな子供でした。笑

 

私は、お茶好き過ぎて

大人になって

国内では、

多数の紅茶教室、

様々なお茶、ハーブ、アロマセミナーに通いました。

一年以上住んだ

イギリスでも、ロンドンのホテルの

アフタヌーンティー

カントリーサイドのほっこりする

ティールーム、

ロンドンの市民が行く普通のカフェの紅茶

スーパーで買うティーバック、

ハロッズ

高級食品メゾンの紅茶、 

通っていたスクールの食堂の紅茶とスコーン、

ホームステイ先のホストマザーの手作り

のお菓子と紅茶を頂きました。

フラット(アパート)で一人で飲む紅茶とビスケットも、忘れられません。

ありとあらゆる紅茶を経験しました。

 

また、日本では

紅茶研究家のアシスタントなどを経て、多数の紅茶の師に学びました。

でも、一番最初のお茶好きのきっかけは

戦後、自転車でお茶の

引き売りから始めて、

後に茶の店を営んだ大正生まれで

100才で亡くなった

母方の祖母でした。

続く

インスタアカウントも 宜しくお願い致します。

@yoshiyoshi1155

 

ご挨拶。はじめまして。

はじめまして、きょうやんと申します。

2022年が明けたばかりですね。

皆さんはどんな年にしたいでしょうか

私は、今年からこのブログで、

紅茶について書いていきます。

お茶とのはじまりは、、。

わたしの亡き祖母は東京・荒川近くの下町の 商店街で、日本茶と海苔の店を営んでいました。私は港区白金で生まれ育ち、

同居してませんでしたが、

つねにお茶が送られて来て、

身近にあり

私も茶を飲んで育ちました。

祖母は100才で、天国に帰りました。

祖母の長生きは、茶の効果でしょうか?

 

資格は

その年度600人首席で、紅茶コーディネーターの資格取得しました。

紅茶の基礎知識、美味しい淹れ方、

ティーカップ

また、二十代の頃の

イギリス在住の経験等をつづります!

 

レッスンは

過去には紅茶を、地元の市民講座で教えたり

銀座のでイベント主催、コロナ禍になってから

オンラインレッスンなどしました。

 

東京都中心にアフタヌーンティー

感想も書きますね!

 

読んで頂けると嬉しいです。

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#紅茶

 

 

2022. 1/2 

 

2022.1/8 加筆