前回の続きです。
2015年に100才で亡くなった祖母は、
大正5年生まれ!(西暦1915)。
今から私の母に聞いた話を書きますね。
祖母とその家族は
戦後、お金もなく
偶然にも渋谷の駅前で
現在のヒカリエ!のある場所の
ちいさな民家に6人家族
(祖父、祖母、息子1人、
娘3人、うち一人が私の母)
に住んだそうです。
築地で仕入れた佃煮を
家の一階で売って
なんとか生活し、
二階にあるたった一部屋に全員が
川の字で寝たそうです。(うん?6人だから川の字が二つできたんだね。)
私の母は末っ子で、このころ昭和28年で5歳で、記憶では、ハチ公像はすでにあり
祖母の手にひかれて
渋谷の街をお使いに行った記憶があるそうです。その当時から近くに今もある
大きな画材屋さん、
東横デパート(現在は渋谷スクランブルスクエアかある場所)があったそうです。
通った小学校が、宮益坂を上がった所にあったそうです。今はないそうですが。
祖父は病弱であまり働けず、
貧しかったそうです。
その後、都内を転々とし、おもちゃ、パンを売ってなんとか家族6人
生活し
昭和31年ころ、母が9歳の時、これから先ずっと住むことになる
引き売りを
始めたのが、お茶の店の始まりでした。
住む部屋をもつのがやっとで、店舗を持てなかった頃の話です。
お茶の店舗を持てるのはまだ先でした。
続く