戦後、私の母方の祖父と祖母が子供4人をつれて、お茶の引き売りなどを経て、
都内を転々とした後
東京の東の下町の荒川区に昭和34年ころ
やっとお茶の店舗を小さいながら持つことが
できたそうです。
その時私の母は、13才で中一でした。
(母はこの一家の末っ子)
店は商店街の中にあったので
なんとか生活できるくらいに
売れていったそうで、売上も
順調になり、昭和42年に私の母も、
無事成人を迎えました。
商店街のなかで、少しづつ良い場所に引っ越しを繰り返し
商店街の中でも、中央の広い店舗を持つまでになったそうです。
このころ、すこし生活も安定し、
ありがたいことに
お茶、海苔で商売する道ができました。
ですが、残念なことに身体が丈夫でなかった
祖父は58才で
母が17才の時に、亡くなりました。
それでも、祖母は店を
この後も何十年も
続けます。
そして
末っ子の、私の母は、
同じく荒川区に住んでいた店のお客さんだった(後に私の父となる)
男性と結婚し
私が長女として生まれるのでした。
つづく