MY AFTERNOON TEA TOKYO

紅茶好きさんに贈る紅茶研究家きょうやんのサイト。

わたしについて④お茶好きになった理由

皆様こんにちは。きょうやんです。

Instagram @yoshiyoshi1155 です。

荒川区のお茶の店の娘だった母が同じく

荒川区出身の父と地元結婚して長女として

私が生まれ、港区で育ちました。

 

そして子供のころから毎週日曜日になると、

両親それぞれの実家がある、荒川区に連れていかれました。

今でも走っている都電チンチン電車に乗りました。

父の実家、母の実家(お茶の店)数駅離れているので

大事な移動手段でした。

この路面電車に乗ったことは、今も子供の時の大事な思い出です。とても下町の雰囲気を感じられます。

 

母の実家の商店街にある、店では、祖母、母の実兄、そのお嫁さんが

いつも店番をしていて出迎えてくれます。店の端っこで

叔父が大きなお茶の木箱で

(子供が入るくらいの箱)多数の産地の日本茶を手でブレンドした日本茶を袋にひとつひとつ

封入して、

機械でガッチャン、ガッチャンと、袋の口を挟んで密封をしてるのみて

家族で協力して、

頑張って仕事してるんだなあと子供心にかんじました。

近所の常連さんが来ては、無料でお茶をいれて飲ませてあげて皆んな

おしゃべりして帰っていく(何も買わない(笑))

ワタシは、大人はあんな苦いものなんで、喜んで飲むんだ?と思ってました。

でも、これが今で言う

"コミュニケーション”だったんですよね。

お茶の香り、リラックス、おしゃべり、

商売されてる人ばかりなので

さあ、今日ももうひと頑張り、と思っていたんでしょう。

私は、祖母たちから

お札のおこづかいをもらって

商店街でなんでも好きなものを買っておいで、言われるのが

楽しみでした。

商店街のお店は、おもちゃ屋さん、焼き鳥、パンやさん、

祖母の顔見知りばかりなので、

「あんたお茶さんちの、お孫さんかい?そっくりだねえ。」

といわれ、おまけをくれたり子供の私には

パラダイスでした。本当に下町の方々は気前がよくて、子供の私を喜ばせようと、アレもコレもと

色んなものを下さるのでした。いつも縁日の気分でした。

両手いっぱいにおかしや、食べ物をもって帰り

お茶の店の奥に一段だけの

階段を上がり、

のれんを潜ると

小さな部屋に流しと、

冬はストーブがあり皆んなで、

お膳をかこみます。

タップリとお茶を出されますが

子供心に

オレンジジュースがのみたい、

と思ってました(笑)

(本当に、この家族は一日何リットルのお湯を象印ポットで沸かしてたんだろう?この当時の象印のポットの柄は、令和の今、

リバイバル中のレトロな花柄でしたよ。

当時は最新!

なんて名前でしたっけ?誰か知ってたら教えて下さいね。

ここで、買ってもらったおもちゃを広げたり

この店の裏の小さな居間は、昭和時代の良き思いでです。お茶、焼き鳥、団子、菓子パン、

お煎餅、駄菓子等おかわりたっぷり。

これが、私の日本式の初の

アフタヌーンティー、ハイティーです。(スコットランドの夕食を兼ねたティータイム)

この時のお茶の美味しさを知ったことが、今の私の源、原点だったりします。

なぜ、大人はなんで、

お茶がすきなんだ?と思っていた

子供時代のお話でした。